当店は、「三輪」の中心地である三輪山の麓にあり、近辺には神社、古墳や山辺の道など、古代ロマンを思わせるものが沢山あります。
ご来店の折に、お立ち寄りされてはいかがですか。
「大神」と書いて「おおみわ」と読むように、古くから神様の中の大神様として尊ばれ、第十代崇神すじん天皇の時代には国造り神、国家の守護神として篤あつく祀まつられました。
ご祭神(さいじん)の大物主大神(おおものぬしのおおかみ)がお山に鎮まるために、古来本殿は設けずに拝殿の奥にある三ツ鳥居(みつとりい)を通し、三輪山を拝するという原初の神祀りの様を伝える我が国最古の神社です。
ご祭神は国造りの神様として、農業、工業、商業すべての産業開発、方除(ほうよけ)、治病、造酒、製薬、禁厭(まじない)、交通、航海、縁結びなど世の中の幸福を増し進めることを計られた人間生活の守護神として尊崇(そんすう)されています。
大神神社拝殿の奥は禁足地として普段は神職さえ足を踏み入れない神聖な場所で、禁足地と拝殿の間には結界として三ツ鳥居と瑞垣が設けられています。
三ツ鳥居は、神の山・三輪山と拝殿を区切る場所に立っており、本殿にかわるものとして神聖視されてきました。拝観は参集殿で申し込みになります。(祭典及び神社諸行事にて拝観いただけない場合がございます。)
拝殿は江戸時代の豪壮(ごうそう)な社殿建築として、三ツ鳥居と共に国の重要文化財に指定されています。
※参考:大神神社公式サイトより
古代と日本の原風景を満喫できる「山の辺の道」を歩いて見てはいかがでしょうか。
おすすめは、当社から檜原(ひばら)まで続く「山の辺の道」です。
日本最古の神社、大神神社でお詣りをし、心静かに北へ歩を進めると、「くすり道」があり、46種の薬草木が出迎えてくれます。
※引用:大神神社公式サイトより
檜原神社は、元伊勢神社(現伊勢神宮の前身)になります。
古代を偲ばせる鬱蒼とした森の中を進むと、右手に小林秀雄の揮毫になる「山の辺の道」の道標があり、やがて元伊勢(もといせ)となる「檜原(ひばら)神社」に着きます。
ここは崇神(すじん)天皇の御代、天照大神(あまてらすおおかみ)をお祀りした倭笠縫邑(やまとのかさぬいむら)の聖蹟です。
境内には爽やかな風が吹き渡り、大和三山を見下ろす景勝地となっています。
ここでのおすすめは、少し西に歩いて二つの池(井寺池)のまん中に立って、大和国原を一望することです。
はるかなる古代の世界が見えてくると思います。
今、ハイカーに大人気の「大神神社と山の辺の道ガイドブック」を片手に、神います杜に佇み、鳥の声、小川のせせらぎを聞きながら、歌を味わい、歴史を振り返り、古代の世界に身を置いてみてはいかがでしょうか。
※参考:大神神社公式サイトより
出現期古墳の中でも最古級と考えられている3世紀後半ころの築造と言われ、前方後円墳の中では最古式の1つです。
大型で全長272メートルもあり、邪馬台国の女王「卑弥呼」の墓ではないかとも考えられています。
(現在は宮内庁により陵墓として管理されており、墳丘への自由な立ち入りは禁止されています)
全長90メートル、後円部径60メートル、高さ8.5メートルの纒向型の前方後円墳で、周濠が確認されています。
こちらは、卑弥呼の鏡だといわれるものが出土した古墳としても有名です。
大神神社は、この古墳を豊鋤入姫の墓に比定しています。現在は、古墳の葺石や前方部の埋葬施設等が復元されています。
3世紀中頃に造られた日本でも最も古い部類に属する前方後円墳の一つで、古墳は東方より派生した緩やかな丘陵上に位置し、古墳時代前期の大規模集落である纒向遺跡の南東端に位置します。
※引用:桜井市役所公式サイトより
三輪山の北西麓一帯にひろがる集落遺跡です。
3世紀ごろの弥生時代末期からはじまり、古墳時代前期にかけての遺跡で、国の史跡に指定されています。
一帯は前方後円墳発祥の地と推定されています。邪馬台国の中心地に比定する説があり、卑弥呼の墓との説もある箸墓古墳などの6つの古墳が分布します。
縁結びのパワースポットとしても知られる赤糸の小道は、古事記に綴られた三輪の赤糸伝説が「運命の赤い糸」の起源とされています。
若いカップルの方をはじめ、週末土日にはたくさんの方々が訪れています。
当店を探していただくのに、目印のひとつが、織田小学校です。
名前の由来は、織田城の跡地に建てられたためといわれています。